6月16日(日)、世田谷城ダークツアーが開催されました。
元埋蔵文化財調査員の鈴木清さんと世田谷城主吉良氏の研究者である谷口雄太さんによる、最新の研究に基づいた解説付き世田谷城阯公園周辺散策という、贅沢なイベントです。
一般にダークツアー・ダークツーリズムと言えば、人類の悲劇や不幸な側面をめぐる旅のことですが、今回のイベントがなぜ“ダーク”なのでしょうか。 それは、世田谷城の歴史を巡る「影」の側面を学ぶことも目的だからです。
当日は、真夏並みの蒸し暑さのなか18名が参加しました。
先に挙げたお二人の解説の他に、旧尾崎テオドラ邸では建築士の参加者が明治期の西洋建築の特徴を解説、滝坂道や豪徳寺では古地図や街道に詳しい参加者が裏話(?)も披露。「なるほど!」「へー! そうなんだ」を連発しました。
〇看板の解説文をチェックしてみると…
メインの世田谷城では、城跡を巡る前に看板の解説文の矛盾をチェック。
看板には世田谷城の城郭構造の推定図があり豪徳寺の所に「吉良氏の館」とあります。これは昭和40~50年代に出された説で、当日いただいた資料「世田谷城跡」(第7次調査の報告書。調査は2005年)には、「昭和62年の測量調査などから吉良館の主殿はここと推定される」と書かれています。推定図にも豪徳寺伽藍あたりに「現存する土塁」が描かれています。でも、昭和62(1987)年の世田谷教育委員会の調査報告書では、この「現存する土塁」は近代~昭和の盛土ってあるんですけど……?
他にも吉良氏は「太田道灌と同盟」を結び「武蔵国の中心勢力として繁栄」するなどかなり話が盛られています。「中心勢力として繁栄」にいたっては裏付けとなる史料も何もなく、昭和42(1967)年刊の本から拝借しただけのようで、地元の武将を大きな館に住むヒーローにしたかったのかなと思いました。フィクションのドラマならともかく、教育委員会による解説文ですから話を盛っちゃダメでしょ。
〇歴史の調査はまるで犯罪捜査
今回お話をうかがって、歴史の調査はまるで犯罪捜査のように感じました。現場(遺跡)では小さな物的証拠ももらさず、聞き取り(文献や史料)の情報は信用できるか矛盾はないか慎重に扱い、新たな証拠(研究成果)を積み重ねて事実に迫る。ところが、結論ありきでストーリーに合う証拠のみを取り上げたり事実を隠蔽したり、場合によってはねつ造したり。冤罪事件にありがちですが、歴史の調査も同じで、発掘調査がいい加減だったり調査結果や史料を恣意的に扱ったり、更新される研究成果を無視したりすれば、もうそれは学術的な価値はゼロです。区はそれでかまわないのでしょうか。解説文にはルビも振ってあります。きっと地元小学生が地域の歴史として学ぶのでしょう。世田谷っ子のみんな、残念だったね。
〇世田谷区の頑なな態度が示すもの
「著作者人格権不行使」の問題で、なぜ世田谷区が頑なに拒否するのか不思議でした。世田谷区にとっても契約を改めたほうがイメージアップにも繋がりますし、得でしかないはずなのに。
しかし、今回いろいろとお話をうかがって、『往古来今』での原稿の改ざんもデジタルミュージアムへの無断転載も(注)いきなり起こったことではなく、長い間ずっと続いていた体質が引き起こしたことだとわかりました。まるで絡み合ってこびりついて取れなくなったガンコ汚れみたいです。
この実態を知るにつけ、なるほど、ダークだったなと感じた次第です。
C.S.
注 世田谷区はかつて編纂委員の原稿を無断で書き換えた過去があります。2017年10月区史の前段階として発刊した85周年誌『往古来今』で、谷口雄太さんの原稿は約800か所改ざんされたうえ、区の「デジタルミュージアム」(インターネット)にアップされてしまいました。本件は2019年10月区議会で大問題になり、区は謝罪に追い込まれました。さらに区は谷口さんに対して「今後は著作権を大切にする」と約束しました。しかし、約束は完全に反故にされ、現在に至ります。