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世田谷区による歴史叙述をチェックしてみた
過日、「区民の会」とともに、世田谷城とその周辺をまわった。
目的は、単に歴史を知ること、にあるのではない。区がどのように歴史を描いているのか、これを知ることにあった。
その目的は当日、十分に果たされたといってもよい。区がいかに杜撰な「歴史」を書き散らしているのか、白日の下にさらけだされたからだ。
世田谷区史編纂問題の前提・根底には、区の杜撰な歴史に対する取り組みがあるのである。
それを裏付けるものとして、今回、世田谷区のホームページも検証してみたい。
https://www.city.setagaya.lg.jp/mokuji/kusei/012/015/001/010/d00014476.html
ここには、「最終更新日 令和4年9月22日 ページ番号 14476」とある。
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えっ! 伝説の常盤姫が実在!?
まず、ここにはいきなり「おもしろいこと」が書かれている。
>さぎ草の伝説の主人公「常盤姫」もここに住んでいました。
世田谷区には「さぎ草」伝説というものがあり、区の花にもなっている。しかし、これはあくまでも「伝説」であって、「史実」ではない。ゆえに、実在しない「常盤姫」が、世田谷城に住んでいたことなど、ありえない。物語の主人公が、現実に住んでいたというのだから、噴飯モノというほかはない。
このようなウソが区のHPには書かれているのである。
「さぎ」草伝説ではなく、世田谷区による「サギ」的な言説ではないか。
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まだまだある。驚くべき「説明」
また、次のような「説明」もある。
>初代吉良氏が南北朝の頃、
ここも意味不明であって、吉良氏の初代は鎌倉期にまで遡る。つまり、吉良氏の初代は南北朝期(1336~1392)ではない。明らかなウソである。
さらに、驚くべき「説明」がある。
ここにいたっては明らかなウソであり、実に恥ずかしい。
現在、学術の世界において、関東の足利氏は「鎌倉公方」・「関東公方」というのであって、「関東管領」ではありえない。
「関東管領」というのは、足利氏=公方を補佐する役職で、上杉氏のことをいう。
つまり、世田谷区は現在の学術的常識を、根本からまるで理解していないのである。
否、学術の世界ばかりではない。鎌倉公方や関東管領は、山川の日本史の教科書でも太字の重要用語である。高校の教科書に太字で載っているようなことを、世田谷区は思いっきり間違えているのである。これでは歴史で点数をとることなどできまい。大丈夫なのか?
このような恥ずかしい情報が、区のHPに堂々と掲載されているのである。
恥を知れ、というほかはない。
なお、これ以外にも不正確な情報が記されているが、教える義務はないので、やめる。
区は当該記事をチェックしていてしれっと修正するのか、
あるいは、恥も外聞もなく区内外にデタラメをまき散らし続けるのか、楽しみだ。
(谷口雄太)