御所巻(ごしょまき)―世田谷区史編さん問題―

御所巻とは、中世の異議申し立て方法のことを言います。世田谷区による区史編さん委員へのパワハラと著作権の問題についてのブログです。出版ネッツのメンバーが運営しています。

権力が歴史を変える?

松平・徳川中心史観

 「松平・徳川中心史観」という言葉がある。徳川家康は天下人になるべくしてなった、という予定調和のもと、江戸時代を通じて徳川将軍家の国内統治を正当化し、不都合と考えられることは排除するか改変をした歴史観である。
 例えば、織田・今川家への人質時代に苦労を重ねたとか、織田信長の命令で泣く泣く妻子を死に追い込んだとか、そうして身につけた忍耐力と家臣の結束力で天下人になったとか、これらは徳川中心史観として、近年の研究で否定されている。

 愛知県西尾市には、花見スポットで有名な吉良町の黄金堤に「鎧ヶ淵(よろいがふち)古戦場」の碑があるが、この戦いが起きたのは江戸時代の史料に基づき、1561年と考えられてきた。しかし、安土桃山時代の史料で1556年になることが分かった。
 この戦いで討ち死にした松平好景(よしかげ)の主君は、56年だと今川氏になるが、61年なら松平氏(家康)になる。好景の子孫が「自分の祖先は家康に尽くした」と強調するため、江戸時代に好景の没年を61年に書き換えたらしい。一種の徳川中心史観といえよう。『新編西尾市史 通史編1 原始・古代・中世』では56年説を採った。

自治体史に曲筆の可能性?

 歴史の史料では、当時書かれた文書や日記など「一次史料」が最も有益とされるが、時の権力に忖度(そんたく)して筆を曲げている可能性にも注意を払い、歴史学者は史料と向き合っている。
 現代でいえば、愛知県史や西尾市史など自治体史が、歴史研究者や郷土史家にとっての「一次資料」になっているが、もし、その記述が時の権力によって改変されていたら……。あり得ないと思われるかもしれないが、そうなり得る問題が起きている。
 東京都世田谷区で記者会見に臨んだのは、前述の『新編西尾市史』で中世吉良氏を執筆した谷口雄太さん(青山学院大学准教授)。世田谷区史の執筆依頼を受けていたが、区から「著作者人格権を放棄しなければ執筆させない」と求められたことに対し、撤回を訴えた。

著作者人格権放棄で歴史改ざん?

 著作者人格権とは「勝手に改変されない権利」で、例えばA社がB社に動画制作を依頼した場合の契約書で、「著作者人格権の不行使」を盛り込み、A社が独断でB社の制作動画を編集できる余地を残すケースは、よくあるらしい。
 しかし、自治体史の執筆で歴史家から著作者人格権を奪えば、区が「趣旨にそぐわない」というあいまいな理由で内容を勝手に改変しても、歴史家は抗議できない状態になる。谷口さんは「内容を勝手に書き換えられても抗議できず、行政による歴史の改ざんにつながる」「区史に名前を記す以上、学者の信頼に関わる」と主張している。

どうする世田谷区!?

 世田谷は、中世の西尾を治めた「三河吉良氏」の兄弟から分かれた「武蔵吉良氏」の本拠地。谷口さんは中世吉良氏研究の先駆者だが、区は谷口さんを外して区史の編さんを強行するらしい。新編西尾市史では著作者人格権の不行使はなかったようだ。
 世田谷区は「歴史を改ざんする意図はない」としているようだが、自治体が著作者人格権の放棄を求めるのは横暴だとして、歴史学界だけでなく出版業界にも抗議の声が広がっている。学者が解き明かした史実を公権力がゆがめることなど、あってはならない。
 世田谷区といえば、新型コロナの感染防止対策で「いつでも、どこでも、何度でも」PCR検査を受けられるようにする「世田谷モデル」で注目を集めた。結局失敗に終わったが、自治体史の歴史修正という悪しき「世田谷モデル」とならぬよう、再考が求められる。

                                 (匿名希望)