御所巻(ごしょまき)―世田谷区史編さん問題―

御所巻とは、中世の異議申し立て方法のことを言います。世田谷区による区史編さん委員へのパワハラと著作権の問題についてのブログです。出版ネッツのメンバーが運営しています。

関東大震災から100年―福田村事件、烏山事件と世田谷区史編纂問題―

世田谷区史編纂問題が広く取り上げられることとなった2023年は、関東大震災から100年目にあたる年である。関東大震災(9月1日)は10万人を超す死者・行方不明者を出した甚大な災害だが、同時に、朝鮮人・中国人などに対する殺傷事件を誘発した点で強烈な出来事であった。

 

気を付けたいのは、殺された人々のなかには日本人もいたということであり、千葉県で起きた「福田村事件」が知られる。7月7日、千葉県で同事件に関するシンポジウムが開催され、千葉県における追悼・調査実行委員会編『いわれなく殺された人びと』(青木書店、1983年)や辻野弥生『福田村事件』(五月書房新社、2023年。2013年に崙書房出版から刊行されたものを大幅に増補改訂)といった名著の著者、さらには、「福田村事件」以外の日本人死傷事件を追う島袋和幸さんが登壇するという大変に贅沢な会であった。9月には森達也さんによる映画『福田村事件』も公開されるとのことなので、ぜひともご覧いただきたいと思う。

 

・シンポ当日の様子

https://sengonet.jp/archives/4356

・映画『福田村事件』

https://www.fukudamura1923.jp/

 

さて、関東大震災は世田谷とも無関係ではない。否、明確に朝鮮人殺害に関与していたわけで、それが「烏山事件」である。中川五郎さんの「トーキング烏山神社の椎の木ブルース」で徐々に知られるようになったのではないかと思われるのだが、当該事件に関するシンポジウムが5月13日、東京の杉並であり、研究を続ける丸浜昭さんが成果を整理・報告した。丸浜さんは「自治体史のなかの朝鮮人殺害事件」(『歴史評論』521、1993年)を発表し、そのなかで、世田谷区が1976年に編纂した『世田谷近・現代史』を検証しているので紹介する。

 

丸浜さんは、「『世田谷近・現代史』の朝鮮人殺害事件の事実究明の姿勢には、大いに疑問を持たざるをえない」と世田谷区の態度を批判する。具体的には、「「世田谷地域においては、……かかる殺傷事件が発生したとの記録はみつかっていない」とあるが、先に紹介した町長の記録の部分には「三軒茶屋ニテ殺傷事件アリ(勝光院ニ葬ル)」という一文が引用されているのである」「さらに、烏山での殺害事件もある。こちらは、事件がおきたことは当時もかなり広範に伝えられ(中略―引用者=谷口注)、おそらく、烏山は当時北多摩郡府中町に所属していたので世田谷区とは関係ないとしたのだろうが、それは不自然な取り扱いではなかろうか」と糾弾しているのである。そのうえで、こうまとめる。すなわち、「根底には、それはよそのことで自分たちの地域は問題なくえがくという姿勢があるのではないか」と。

 

以上を要するに、かつて世田谷区は自治体史をまとめるに際し、「烏山事件」などにつき、事実を隠すかたちで叙述したということである。では、ひるがえって現在の世田谷区はどうだろうか。鳴り物入りで区史編纂事業を開始したものの、当初から問題が続発し、区議会やメディアで批判されたことは記憶に新しい。のみならず、区は著作権を侵害した側であるにもかかわらず、「著作権譲渡」(無償)どころか「人格権不行使」まで歴史学者に強要し、反対した専門家(歴史学者)を馘首したのだ。これはすなわち、歴史学者の書いたものを世田谷区が自由に「編集」できるということにほかならず、行政権力による「歴史修正」につながるとして、いま多くのまともな歴史学会・個人が強く反対、厳しく糾弾しているとおりである。残念ながら世田谷区史編纂は、歴史に学ばない、学ぼうとしていないといわざるをえない。

                                  (谷口雄太)