御所巻(ごしょまき)―世田谷区史編さん問題―

御所巻とは、中世の異議申し立て方法のことを言います。世田谷区による区史編さん委員へのパワハラと著作権の問題についてのブログです。出版ネッツのメンバーが運営しています。

改めて考えてみる「著作者人格権」の存在意義

 今回の争点の1つが、歴史学の専門家として世田谷区史に寄稿した谷口氏の原稿を、区の職員が改変することの是非についてである。

 著作権は、「著作財産権」と「著作者人格権」に分かれる。前者は誰かに譲ることも、権利を保持したままライセンスをすることも可能である。一方で、後者は著作者に一身専属の権利なので、他人に譲ることはできず、相続の対象にもならない。

 故に著作者と契約を結ぶ際、発注者は著作者の著作者人格権を「譲渡」してもらうことはできない。そのため、契約上も「発注者に対して権利行使しない」という文言が使用される。しかしながら今回の件は、契約にこの文言があるからといって発注者にいかなる改変も許されるのか、という問題をあぶり出す契機になったと考える。

 かつて筆者も弁護士や医師など社外の専門家に執筆を依頼し、受け取った原稿を校正する仕事をしていた。その際に誤字脱字や表記ゆれを修正したり、紙面の都合上本文の一部を割愛することがあったが、実はこれらも「改変」に当たる以上、厳密には著作者人格権の1つである「同一性保持権」を侵害することになる。通常、著作者人格権の「不行使条項」とは、どうしても生じ得るこうした事態に対応したものだが、それでも多くの編集者は校了前にゲラを渡して執筆者の同意を求め、信頼関係を構築しつつトラブルを回避する。

 中山信弘東大名誉教授の「著作権法」に、以下のような記述がある。

「改変自体に同意しても、悲劇を喜劇に変更して著作者の名誉・声望を害するような極端な改変は、事後的に同一性保持権を主張できることになろう。それに対して、細かいところは編集者に一任するような改変には事後的に同一性保持権を主張できないことになろう。」

 つまり、世田谷区が谷口氏に著作者人格権の不行使を契約で認めさせても、それが氏のキャリアに少なからず悪影響を及ぼしかねないほどの想定外の改変であれば、権利侵害に基づく差し止めができ得ると解するのが自然ではないだろうか。

 収益に直接つながらない分、著作者人格権はビジネス上少し軽く見られてきたのかもしれない。しかし、この権利も安易な取り扱いや誤った解釈が訴訟などのリスクにつながりかねないことが、今回の件で明らかになったのではないだろうか。

          (フリーランスユニオン/社会保険労務士弁理士 永田由美)